(1) 軍事指揮体系
北朝鮮の最高軍事指導機関は、国防委員会であり、同委員会委員長が一切の武力を指揮・統率する。そして、国防委員会の直接的統制を受ける人民武力部が、実際的な北朝鮮の軍事指揮体系の主軸となる。北朝鮮は、人民武力部隷下に総参謀部を置き、総参謀長が地上軍の各軍団と戦車・軽歩指導局と砲兵及び海・空軍司令部を直接指揮・統制する単一軍指揮体系を備えている。現在、金正日は、人民軍最高司令官、国防委員長として、北朝鮮の武力一切を掌握し、軍政権と軍令権を行使する人物である。
(2) 軍事機構
国家主権の最高軍事指導機関として、国防委員会委員長が一切の武力を指揮・統率する(注1)。旧憲法によれば、主席が全般的武力の最高司令官、国防委員会委員長として一切の武力を指揮・統率するようにされていたが、1992年4月の改正憲法では、同事項が削除され、国防委員長が一切の武力を指揮・統率するように規定された。国防委員会は、全般的武力と国防建設事業を指導し、主要軍事幹部を任命又は解任し、有事の際、戦時状態と動員令を宣布する。
党軍事委員会は、党中央軍事委員会(注2)と各級地方党委員会の軍事委員会で組織されている。
中央軍事委員会は、軍事政策遂行方法を討議・決定し、人民軍を含む全武装力強化と軍需産業発展に関する事業を組織・指導し、軍隊を指揮する(党規約第27条)。このように、党中央軍事委員会は、軍事力の運用に関する諸般の政策の最高決定機関となっている。地方党委員会の軍事委員会は、党中央委員会の指導を受け、党の軍事政策執行方法を討議・決定し、戦時動員体制の検討、民兵組織の管理・運営及び民兵訓練等の任務を遂行することになっている。
人民武力部は、1982年4月の最高人民会議第7期1次会議の決定により、政務院から分離され、中央人民委員会直属機関として運営されてきた。その後、1992年の憲法改正により国防委員会が中央人民委員会と同格に格上げ、改編されたことにより人民武力部は、事実上軍事部門の執行機構として国防委員会の直接指導と統制を受け、隷下に総参謀部を置き、総参謀部長が地上軍の各軍団と戦車・軽歩教導指導局と砲兵及び海・空軍司令部を直接指揮・統制することになった。
人民武力部の構成上、2つの面を持っている組織が、総参謀部と総政治局である。総参謀部は、軍事指揮系統であり、総政治局は、党的指導を受け、軍を指導する政治指導系統である。
(1) 兵役制度
北朝鮮では、軍の入隊の可否を各行政地域別軍事動員部が決定する。北朝鮮の全ての男子は、14歳になれば、招募対象者(注3)に登録し、高等中学校を卒業する満16歳になれば、軍入隊のための2回目の身体検査を受け、高等中学校を卒業する年に師団又は軍団に現地入隊することになる。専門大学卒業者もやはり、卒業する年に入隊する。
しかし、身体検査不合格者、敵対階層子女、成分不良者(反動及び越南者家族中、父方が6等親、母方が4等親以内、刑服務者等)以外に、特殊分野従事者及び政策遂行者(社会安全部員、科学技術・産業必須要員、芸術・教育行政要員、軍事学試験合格大学生、父母高齢の独身者等)は、政策的理由により徴集から除外される(注4)。
勤務年限は、内閣決定148号に依拠し、地上軍は、3年6ヶ月、海・空軍は、4年に定めているが、実際には、7〜10年ずつ勤務し、1995年から10年勤務年限制を実施している。その中でも、特殊部隊(軽歩兵部隊、狙撃部隊)要員は、長期服務をしなければならず、主特技や特別指示により事実上無期限勤務しねければならないのが実状である(注5)。1996年10月から最高司令官命令により、男子は30歳、女子は26歳までに服務が延長された。軍服務を終えれば、除隊と同時に職場に配置され、職場で1〜2年間勤務して、大学進学をすることもある。軍指揮官は、金日成軍事総合大学と姜健総合軍官学校等、各種学校を通して養成され、本科は、2〜3年の課程とされている。
(2) 兵営生活
兵営生活中、基本的に守らなければならない服務規律として「軍務生活10大遵守事項」があり、その内容の要点は、次の通りである。
服務中、規定上では、年1回の定期休暇(15日)が許容され、表彰授与又は結婚や父母死亡時、7〜10日間の特別休暇があるが、絶対的に遵守される場合はほとんどない。住民生活に対する失望を憂慮し、平常時の外出・外泊・休暇等が制限される代わりに、年1回の休養制度を実施する。部隊給食における主食は、補給されるが、副食は、部隊自体的に営農等を通して解決されている(注7)。
(3) 軍階級構造
北朝鮮人民軍の階級は、軍官15種、下戦士6種に分けられている。軍官の場合は、
等に区分されている。下戦士の場合は、
に区分される。次帥階級を新設して以来、北朝鮮軍将星階級序列は、元帥−次帥−大将−上将−中将−少将等、6階級構造であるが、1992年4月13日、金日成の80歳の誕生日に先立ち、金日成を大元帥に推戴し、7階級構造にした。1994年、金日成死亡以後、現在、北朝鮮には、大元帥がいない状態である。
一方、金正日は、1991年12月24日、党中央委員会第6期19次会議において、人民軍最高司令官に推戴されたのに引き続き、1992年4月21日、軍創建記念60周年の際に、「元帥」に電撃推戴された。軍最高司令官となってから4ヶ月でしかない同年4月23日、金正日は、「人民軍最高司令官命令第0024号」を発表、呉振宇(人民武力部長)を始めとする崔光(総参謀長)等8名に元帥星と次帥星を直接手渡す等、計664名の軍将星に対する昇進人事を断行した。
金正日は、1993年7月19日、「人民軍最高司令官命令第0040号」を発令、1次進級から漏れた朝鮮戦争参戦元老及び将星99名(中将14、少将85名)を昇進させ、1994年4月15日、党民防衛部長金益鉉を大将から次帥に昇進させた。また、1995年10月8日、呉振宇死亡(95.2.25)以後、空席だった人民武力部長に崔光を任命し、党中央軍事委及び国防委員会名義で崔光、李乙雪に元帥称号を、趙明録、李河一、金英春に次帥称号を授与して、金河奎等、軍高位職14名を進級させた。
1997年2月9日には、軍最高司令官命令第0087号を通して、朴在京、金格植等、最近4名を大将に昇進させる等、計6名を進級させた。引き続き、4月13日、軍創建65周年に先立ち、軍最高司令官命令第0088号「朝鮮人民軍指揮成員の軍事称号を上げることに対して」を発令し、大将金鎰普A全在善、朴基西、李鐘山を次帥に進級させる等、123名(次帥4名、大将1名、上将8名、中将37名、少将73名)に対する昇進人事を断行した。
このような異例的な昇進人事断行は、金正日に対する忠誠を向上させるための士気振作策の1つと解析される。最近の山のような勲章授与にも、軍宣撫策の一面を垣間見ることができる。また、北朝鮮は、金正日が人民軍最高司令官に推戴された直後、「軍創建60周年記念勲章」(92.3)と「祖国解放戦争勝利40周年記念勲章」(93.3)等を新たに制定したが、これもやはり軍宣撫策の1つと解析される。
このような事例は、1993年9月に制定・発表された「軍服務期間別国家表彰」にも良く現れている。この表彰は、1956年6月の金日成の指示により制定され、過去20年間、北朝鮮軍の士気高揚策により長期服務者に授与してきたが、1975年頃、授与が中断されていたが、当時、北朝鮮は、「毎年、あまりに多い兵士に表彰が授与され、表彰の権威が失墜する」という理由でこの表彰を廃止した。
北朝鮮が今回、「軍服務期間別国家表彰」を再び制定したのは、1975年後、長期服務した全将兵を対象に表彰を授与し、最近軍内に起こっている不平不満を少しでも緩和する一方、軍最高司令官である金正日に対する忠誠心を向上させるためのものと見ることができる。また、北朝鮮は、休戦40周年記念勲章に合わせて、「全国老兵大会」に参席した老兵(6千名)に新たに制定された「戦勝40周年記念勲章」を山のように授与して軍人が「過去の日々と同じように金正日に忠誠を尽くすこと」を促した。
軍の経済建設を義務とするために、1996年12月29日には、発電所及び錦繍山記念宮殿等、大型建設事業に参与した軍人と関係者1,678名に努力英雄称号、金日成勲章及び金正日表彰状等を大挙授与することも行った。
(4) 軍内に党組織
人民軍隊内には、各級単位の党組織が構成され、人民軍に対する政治事業を遂行する。これは、実質的に軍に対する党の統制機能を遂行するものと受け取られている。人民軍隊内中央には、「朝鮮人民軍党委員会」があり、大隊級以上に「党委員会」、中・小隊単位には、「党細胞」及び「党分組」が各々組織されている。また、党委員会とは別途に軍内に政治機関を組織していることもあるが、人民武力部傘下に人民軍総政治局、大隊級以上部隊には、政治部がある。このような政治機関は、各々師団と連隊単位に政治委員、大隊と中隊単位には、政治指導員を派遣し、作戦・訓練等、全ての軍事業務と軍隊内政治事業を調整・監督しており、併せて全ての命令書に政治委員の署名があって初めて効力が発生するようにする副署制度を実施している。
また、人民軍隊内には、部隊単位に応じて、「金日成社会主義労働青年同盟」が組織されているが、これは、各級党組織と政治機関の指導下に非党員を労働党に結束させるための組織である。このように人民軍隊内に2重3重の監視・統制組織を備えているのは、軍の性格が領土及び体制保存任務より統治者と党の軍隊として任務を遂行するためである。
注2:1984年2月から党中央委軍事委員会を党中央委員会に改称、軍事委員会の任務を軍事政策の決定及び指導から軍指揮権まで分与し、機能を強化した。統一院、『95北韓概要』、p.497
注3:北朝鮮は、徴集という言葉の代わりに「徴募」という用語を使用している。戦時には、17歳〜45歳まで「徴募」対象となる。この用語は、朝鮮時代、兵曹において軍兵を募集するときに使用した。
注4:統一院、『95北韓概要』、p.497
注5:北朝鮮での人民軍服務期間は、「内閣決定第148号」規定にも関わらず、これに優先して労働党の軍事政策決定及び人民武力部の方針による。
注6:軍務生活10大遵守事項は、1977年11月30日、朝鮮人民軍第7次煽動員大会における金日成演説「政治事業を良くして人民軍隊の威力をさらに強化せよ」において、人民軍が必ず守らなければならない点を支持したことにより、その詳細な内容は、『金日成著作集32』、朝鮮労働党出版社、1996、pp.518〜524、参照。
注7:統一院、上記の本。p.490
最終更新日:2003/06/04
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